角部屋日記

あったりなかったりすること

「なかったことにされちゃうよ」

大森靖子の歌詞の一部を僕の文脈に強引に引き寄せてしまうけれど『音楽を捨てよ、そして音楽へ』という曲の中に出てくる「なかったことにされちゃうよ」というフレーズは無意識に近い感じで時折僕の身体に響いてくる。

 

大森靖子『音楽を捨てよ、そして音楽へ』

 

昨日の話の続きのようなものだけれども、ラベリング可能な対象となる時に、僕の中の要素には”ないものとされた”歴史のうえに成り立っていものがある。現在進行系で僕自身は存在しているし、同じそれを共有している他者も存在する。けれど、現代日本で生活する限り、”ないものに近しい”あるいは”簡単にないものにされそう”みたいなのはひしひしと感じていて。

別にそれは僕のそれに限った話ではない。”人間動物”として人間としての権利も尊厳もなかったことにされ被虐殺者とされてしまうパレスチナの人々、入管法改悪や永住権剥奪の危機だってそうだし、あらゆる差別/暴力/排除は本来認められるでも受容されるでもなくそれ以前に普遍にあるはずの権利/尊厳/存在をなかったもののようにしてしまう。

”なかったことにされない”ために多くの人々が足掻いたところで、現在の日本政府はクソだし、世界各地の虐殺・紛争を止められずにいる国際社会もクソなのは現在進行形だし。

”なかったことにされない”ために、とか考えると僕も不安とかの感覚をおぼえるんだなって自分にへ〜ってなる。あたりまえに生存が揺るがされない社会まじでほんとうにである。それぞれの”なかったことにされちゃう”恐怖の根源はまじでそれぞれなんだけれども、ほんとうにそうしているやつらも社会制度もやめてくれでしかない。

 

僕が感じる”なかったことにされちゃうよ”をなかったことにされないために、ぼちぼちだけどテキストを書き始めた。性格上ひとりでやるほうが気楽なんだけれども、誰かと一緒に”なかったことにされ”ないための実験がしてみたいかもしれないで、どういう形になるかはまだ未定だけれどもマヴたちにサポートをお願いしたいなとも思っている。それができたらマジ僕にハナマルガンバッタネ!である。

てか、テキストを書き始めてからずっと、大森靖子の声で「なかったことにされちゃうよ」が身体をぐるぐるしていて、勢いでこのテキストも書いている。

運動に参加するにはちとなんか心理的ハードルがある(他の運用はガンガンいけるのに)ので、当面はテキストとか絵とか、現時点の僕ができる手段からやっていけたらいいなである。

 

僕自身のことに限らず、関与可能な範囲にはなってしまうけれども、少しでも”なかったことにされ”そうな他者たちを、そうさせないために、できる限りでマシな生存を勝ち取っていきてえよなな今日のお気持ち。

マジで。

このテキスト読んでくれる人は限られているだろうし、それぞれの観測・関与可能な領域はそれぞれだと思うけれど、もちろん余裕がある限りで”なかったことにされ”そうな人々にバイスタンディングしていこう!イシューは違ったとしてもその姿勢だけで僕は社会とあなたにちょっと安心が増えるし、そうなるのは僕だけじゃないと思うので。よろしくのすけ。