角部屋日記

あったりなかったりすること

イメージ

他者からあなたってこんな人と言われる度にそうやって見えているんだが知れて嬉しくなる。反面、私は他者をこんな人と言おうとすると言葉に詰まってしまう。そんなことをちょくちょく考えている。なんで言葉にできないんだろう。私は言葉にできないほどその人のことを考えられていないのだろうか、輪郭を掴むことさえできていないのだろうかと思ってしまう。なにかはある。それは断言できるのだけれども私に渡されるあなたってこんな人のように私はあなたを描写できない。

 

他者から言われたあなたってこんな人をメモしてっけと思い出し、いくつかを探し出した。

 

・夜の側の人

・王様だし悪魔でもある

・繊細さと我の強さが同居した空気感があってものすごく寛大で優しい凶暴な野生動物

・踊るように、生きる人 雨のように、悲しむ人

・一見色の彩度が高そうだけどそうではなくて、哀愁と確かな光をもつ世界

・彼は全然生きてるんだけど、目の前にいても生きてないような感じもして、それがなぜか性的だなあと思って、それをかっこいいって思ったんだよなあ。

 

イメージだった。分かるようで分からないし、分からないようで分かる。雰囲気であるかもしれない。記憶に残っているものを探し出しただけでより普遍的な共通言語的なやり方であなたってこんな人と言う人たちもいた気がする。でもそれらをちゃんと受け取れたいたかは定かではない。言葉が遠いと感じることが多くある。言葉が近いと感じることがたまにある。私が感じる言葉の距離ってなんなんだろう。他者を知りたいと思うと同時にどうしようもないその距離を感じてしまった時、言葉の強さを思い知る。言葉がない、言葉にない。

 

ーーー

 

大学を卒業し労働者になってから、おしゃべりが苦手だなと思うことが途端に増えた。嫌いなわけではなくて苦手という意識が強い。会社に入ると途端に、発話ないしテキストといった言葉だらけの世界になった。新卒の時も今になってもだけど、改善点で指摘されることがあれば言葉のことばかりである。思えば、大学時代は雰囲気?立居振舞?でコミュニケーションしていのかもしれないと思う。労働者時間の2/3をリモートワークで過ごしていると、そんなコミュニケーションは通用しない。大学時代みたくそれこそ生活を共有するように多くの人々といるような時間は、前もって約束をして限られた数時間をたまに過ごす友人関係では発生しない。限られた時間で確かな言葉が多分必要になっている。そもそも誰かにこのことを話したい!聞いてほしい!という気持ちがよく分からない。だから、どんなに仲が良くても会う前は必ず緊張する。それでも私を分かってほしいとも思わない。私も私がよく分からないから。でもあなたを知りたいとは思う、けれど言葉がないとそれも難しいことがほとんどのように感じてしまう。

 

自分が書いたテキストを時間をおいて読み返す時、分かる時と分からない時がある。いつかこれを読み返すことがあったなら、分からないし分かるだったらいいなと思う。

いいへんじ『われわれなりのロマンティック』

2025年8月29日金曜日夜、三鷹芸術文化センター・星のホールで、いいへんじによる『われわれなりのロマンティック』を観た。

私のためのおぼえがき。演劇をきっかけにはしているけれど別にこの演劇だからじゃないことも書くと思うから、すべてが感想ってわけではない。

 

公演は9月7日(日)まで。チケットまだ買えるよ。

==作品情報==
STORY

大学のフェミニズムサークルで出会った、クワロマンティック*の茉莉と蒼は、恋人とも友人とも名付け難い、親密な関係を築く。
卒業後、編集者となった茉莉は、パートナーシップをテーマにしたインタビューを企画し、周囲の人々の悩みに向き合う。一方で、自分たちの関係については、いつのまにか言葉を尽くさなくなっていた。
やがて、二人の「好き」の形は、ある出会いをきっかけに、少しずつ問い直されていくことになる。

*自分が他者に抱く好意が恋愛感情か友情か判断できない/しないこと。

 

CAST

小澤南穂子、小見朋生、川村瑞樹、藤家矢麻刀、百瀬葉、冨岡英香、谷川清夏、奥山樹生、飯尾朋花

声の出演

近藤強、能島瑞穂、浅井浩介、実近順次、川隅奈保子、端田新菜、山本雅幸、タナカエミ、田島実紘、宮地洸成、竹内蓮、波多野伶奈

STAFF

作・演出:中島梓

音楽:野木青依 
美術:伊従珠乃 
照明:中村仁(黒猿) 
音響:大嵜逸生 
スタイリスト:カワグチコウ 
演出助手:坂本沙季(明日は、寝たくない) 
舞台監督:石橋侑紀
音響操作:福田彩花
大道具制作:土田しほり、成瀬柚月
舞台協力:小野寺豊、岸川卓巨、高橋英司、坂本遼、佐々木智史
音響協力:近藤海人(かまどキッチン)
舞台写真撮影:月館森
舞台映像撮影:松本佳樹、北林佑基(世田谷センスマンズ)
マリンバ録音・・編集・一部編曲:林翔太郎
当日運営:宮野風紗音(かるがも団地) 
制作助手:中島悦子、木香花菜
制作:田中遥、石本秀一

ジェンダーセクシュアリティ監修:中村香住

宣伝美術:たかはしともや 
宣伝写真:宮本七生 
宣伝スタイリスト:カワグチコウ

公式サイトより)

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ここから劇中のこと含まれるからネタバレってやつ。

セリフの引用は『悲劇喜劇2025年9月号』より

 

 

 

近しい時を生きた人々

ドレスコーズ『愛に気をつけてね』(記憶曖昧だが多分そう、志磨遼平なのは確か)にバトンタッチされて幕があがる。20歳そこらだった時の身体がぶわっと蘇ってくる。そこで描かれる様々が程度はあれど既視感であり身近であった。いまだに不可視化されやすい、誤解されやすい、差別・排除・暴力の対象とされやすいような人々。

正しさや綺麗事だけじゃなくて、構成も演技もできるかぎりの誠実さを感じた。

それでも、「感動!」「めちゃよかった!」「Eye-oprning!」「わたしの世界が描かれていた!」という気持ちがないわけではないが、観劇後の私は湯原千尋(作中に登場するキャラクター)よりももっと外側、周縁から観ていたような気分になってしまった。それは他者と対峙し続ける劇中の人々への羨ましさかもしれないし、取り戻すことが難しい過去の時間や関係かもしれないし、複雑な現実へのなにかかもしれないし、なんなんだろうで。あと、描かれた人々は私にとっては特別ではなくて生きてきた現実の人々と近かったし(そもそもそれ自体が描かれてこなかったでももちろんあるんだけれども)。そんで、たまたま同じ回を観ていた友人たちに声をかけることもなく劇場を後にした。スーッと通り過ぎたものにしてしまおうかとも思ったけれども、それでも観劇から2日間、頭から離れなかった。

だからポジティヴな感想でもないだろうし、たまたまこの演劇をきっかけにして書いているだけのこともあると思う。

 

描かれること/描かれないこと

私が描かれていたと感じたこと(網羅はしきれていないし、視方による):フェミニズムジェンダーセクシュアリティ、ポリアモリーを含む様々なパートナーシップの実践、家父長制的な社会、偏見や暴力、ミスジェンダリング、すれ違い、差別・虐殺に反対するスタンス、抵抗の実践、都会(東京)と地方(茨城)、対話、希望、葛藤、後悔、矛盾、カッコ付きのユートピア(カッコ付きとしたのはジェンダーセクシュアリティの観点ではフェミ研の部室は少なからずユートピアであっただろうがインターセクショナリティの視点に拡大するとそれでもユートピアであったかは判断できない)、フレキシビリティなどなど。

たった2時間、しかも社会への親和性が高いと言えない存在を主題にして、なくなく描けないことがきっとたくさんあるだろうと思う。だからこれも描いてくれってわけではなく、観劇をした人々がこの演劇をきっかけに何かを知ろうとしてくれるならへの祈り?願い?的なことだったり、私が生きている現実の話として書くならば、例えば、パートナーシップを選択しない/できずに生きる人々がいること、クィアな存在と密接な課題として病や障害、貧困・格差、法的な不平等があることとかとか。

エンディングの哲学対話のテーマが「これから、パートナーと、どんなふうに生きていきたいか」だった時、so farな私はそこにはいられないなと思ってしまった。いやそうなんだけれども、そうでもない、パートナーシップではない関係性やそれこそ名付けたくない関係性に勝手に開いていけばいいし、事実婚を終わりにすることを選択した凪や(しなくていいはずなのにしなくちゃいけない社会はクソは大前提で)同性カップルとして歩むことを決意した香織と理子の姿は、私を含めた現実の”私たち”にとって応援したい姿であったしで。

 

何を言ってもいい

劇中で何度か対話のルールがセットされる。8つあるルールのうち、1つ目にあげられるのが「何を言ってもいい」である。劇中のコミュニケーション全体のその雰囲気が感じられる。それは基本的に安心できる関係性や、仮に間違ったとしても指摘をしたり、対話をしたり、行為者が改善をしようとする希望があってだったりもする。だからこそ「何を言ってもいい」はちゃんと難しい。対話の場ではないけれど劇中では自身の「言ったこと」を後悔し、即座にあるいは時間をかけて修復をはかろうとする姿がいくつかある。

少なくとも私にとって対話することはとても様々なエネルギーがいる。クィアな人々とのコミュニケーションであっても他の社会的マイノリティへの偏見や否定的な意見を耳にしたり、無関心があったりするし、それこそラベリング的なことで言えば勝手に「シスゲイ男性」とされたり「健常者」とされる。直接的でなくても、文脈としてそう捉えられた時点で、対話を諦めるには十分だったりもする。私は属性が多いのでより特権的なあなたは発話しないでくださいとかは全然ないしむしろ私が誰かの発話を阻害してしまうことだって全然ありうる。でも、だからこそ、「何を言ってもいい」にはなれないにしてもできるだけお互いが安心して発話できるように、学ぶことをやめず、考えることをやめず、変容可能性を模索し続ける他者関係を目指していきたい。

 

柔軟性(flexibility)/流動性(fluidity)

前段で変容可能性と書いた。ジェンダーセクシュアリティに限って言っても変容可能性はあたりまえにある、それを劇中の茉莉は実践していた。他者との関係性が変わっていくとのと同じように?ジェンダーセクシュアリティは変容していいはずである。クィアな生を生きていた人が諸般の理由からヘテロノーマティヴなライフタイムを歩んでいくこともあるだろうし、経験に即さないとしても未来への可能性の観点や政治的観点からバイセクシュアルという名乗りや実践をやめパンセクシュアルであったり、クィアという名乗りと実践をしてくことだってあたりまえにあり得る。セクシュアリティを例にしたがもちろんジェンダーだって変容可能性がある。変容することはそれまでが嘘であったことにはならないし、変容の先にまた変容があるかもしれない。現実でもあってもなかなかにそういった変容可能性については厳しい雰囲気を感じるし、ましてや作品の中でセクシュアリティの変容が描かれることを少なくとも私は目撃したことがなかったと思う。変容する主体が描かれ、それをそうだよと言ってくれる他者がいることは希望であった。

 

パートナーシップ

”クワロマンティック”の話でももちろんあるんだけれども、私的には”パートナーシップ”についてを強く感じる演劇だな〜って思った。事実、劇中の登場人物は何らかの形で他者とのパートナーシップを実践している/いた。あとこれ僕的には重要なんだけれども、アロマンティックである千尋の存在。千尋が私的にはいっちゃんでかい存在だったので。それで?パートナーシップについて書こうと思ったけれど、パートナーシップではない関係性についてしか私は書けないし、別にそれは違うところで書けばいいやが今なので割愛。そういう人もいる。

 

ライフタイム

健常なヘテロノーマティヴを大前提としたライフタイムを規定してくる社会ってクソだよね〜〜

 

オーディエンスとしての現実への緊張感

いいへんじ『われわれなりのロマンティック』が繰り広げられる劇場もちゃんとあたりまえに、”フェミ研の部室”のような”ユートピア”では決してない。私がひとりでいられる部屋、信頼している人々といられる部屋のような”ユートピア”ではない。玄関を出たら、SNSを覗いたらそこは現実である。別にこの演劇に限ったことではないけれど、私にとって笑えないシーンであっても客席のどこからか笑い声が聞こえてくる。私が笑えない一方で笑える人もいるのが現実であって社会である。そんなことはあたりまえで、だけどそれでも、その現実にちゃんと身体が緊張する。演劇の場に限らずに、そういった緊張を日々おぼえながら生きている人々がいる。

 

 

ヘテロではない)性的接触/性行為を描くこと

ことさら演劇で性的接触/性行為を描写するのって素人目でもすげえ難しいんだろうなと思う。事前に「性的接触を示唆する描写」があることはトリガーワーニングされていた。劇中では千尋と茉莉が音楽をかけ踊るシーンや葵が千尋アセクシュアルであることを告白するシーンからそれらが想起される。前者のシーンはあくまで観客(私)の推測する限りであって性的接触/性行為があったかは定かではない。仮に性的接触/性行為の比喩としての二人の踊りであったとしよう。ヘテロな関係ではない人々の性的接触/性行為はどのように描写が可能で、それはヘテロではないセクシュアルな欲望を持つ人にポジティヴに作用し、同時にヘテロノーマティヴを当たり前に生きる人に消費されることなく撹乱の作用をもたらすことができるだろうか。別に答えもないし、こう描いてくれもないし、そもそも性的接触/性行為のあり方なんて千差万別である。私がなにかを描写するわけでもないのだけれども、ヘテロではないセクシュアルな欲望も持つ主体として、プライベートな空間においやられてきた歴史を持つヘテロではない性的接触/性行為の可能性について考えていきたい。

 

原千尋

冒頭に演劇への第一印象として”スーッと通り過ぎたもの”として書いたけれども、ちゃんと向き合いはじめたらそこそこ書くことはあったし、いちばん?ぜんぜん?スーッととおりすぎないものとして湯原千尋がそこにいた。

原千尋(演者:飯尾朋花)
:ノンバイナリー。アロマンティック。パンセクシャル。フリーの”カメラマン”として働いている。川端の紹介で茉莉と出会う。(キャラクター紹介より。””は筆者による。)

思い返せば、鑑賞者が千尋という存在を認識しないまま、千尋の語りから物語が動き出す。そして劇中唯一、時間経過の説明や俯瞰的・客観的な語りを行い、劇中から「われわれなりのロマンティック」を眺めているののが千尋である。

目でも、頭でも、いちばんその姿を追い、人生を想像してしまったのが千尋だった。”スーッと通り過ぎたもの”とした感覚は作品の主題や”主人公”が中心にいた時にそれを中心とした円のどこに位置している実感を持つかってことだったのかもしれない。そもそも私が社会や実際の複数での人間関係を考えることに、その必要がなかったり事実ではないにしろ周縁性、あるいは中心との距離を意識する癖があるからかもしれないが、それを千尋にも感じたからかもしれない。

劇中の登場人物で唯一シスジェンダーではない存在、俯瞰的・客観的な語りによって物語を進行させる存在、”死を身近に感じる”存在、アロマンティックである存在、パンセクシュアルである存在、それらは劇中の登場人物との関係性の中で同一のアイデンティティを共有できない存在でもある。(同じアイデンティティ同士だからといって分かりあえるわけでもなければ、共通のアイデンティティがなくてもわかりあえることももちろんたくさんある。)

千尋「わたしはいつかあなたを傷つける」
(第12幕・千尋と茉莉の会話)

千尋「まあでも、死んでるわけではなさそう」
葵「やめてください」
千尋「……あんまり、死は、身近ではないタイプ?」
葵「……ん?」
千尋「なんでもないです」
(第13幕・千尋と葵の会話)

葵「自分に足りないところがあるから、もう一人、パートナーがいるのかなとか、」
千尋「ああ」
葵「思っちゃったり、しませんか」
千尋「……しまーす」
葵「そうじゃないとは、思うんですけど」
(第14幕・千尋と葵の会話)

これらの千尋の発話は千尋がどう過去をサヴァイヴしてきたか、傷つき・傷つけながら生きてきたか、多くは語らない千尋だけど、だからこそ、それを想像してしまう。諦めそうになる千尋に向き合おうとする茉莉や葵、楽な道ではないだろうけれど3人の未来を歩もうとする姿にーー。

 

そして最終幕、千尋が不在(同じ空間だが部屋が別)の場での葵と茉莉の会話。

茉莉「でもね、これだけは変わらないっていうのはね、」
葵「うん」
茉莉「よくも悪くも一番、わたしが心を動かされるのは、これまでもこれからも、あなただと思う」

(第15幕・葵と茉莉の会話)

私は不安な方向で胸がキュッとした。私が受け取った文脈を意図していないかもしれないけれど、3人の関係性の中で、”心が動かされる”という大きな他者へ/からの影響に”一番”があって、それを3人のうちの2人で共有されていることに。

けれども千尋と茉莉の関係性で言えばまた別の方向性・時間で動き始めているのかもしれない。

千尋「だから、」
茉莉「(振り返って)ん?」
千尋「わたしも、頼っていいですか」
茉莉「……当たり前でしょ」
葵「(うなずく)」
千尋「……じゃあ、(台所を指して)お願いします」
(第15幕・千尋と茉莉と葵の会話)

私は千尋が何人関係であっても、それがどんな関係性であっても、そもそもひとりで生きる選択をしたとしても、千尋が希望を抱ける世界を希求する。

 

アクセシビリティ

あんまり観劇しないから演劇界の状態はわからないし、コストや箱の成約など様々だと思うけれども、アクセシビリティ担保のための鑑賞サポートが充実していた。
詳しくは公式サイト・サポートを見てみてだけど、ひとりでも多くの人が観劇を諦めずにすむ社会になってほしい。

公式サイト・サポート:https://wareroma.studio.site/#support

 

俳優:川村瑞樹

果てとチーク・つづきの公演『きみはともだち』で観た以来ぶりの川村瑞樹さんの演技。演じるキャラクターによるところもあるだろうけれど、今回もめちゃくちゃ素敵な俳優さんだった。なんであんなにかっこいいんだろう。

次に出演する演劇ないかなでちょうど見つかった、果てとチーク『だくだくと、』を心待ちにしている。

果てとチークについての以前の自分メモ:感想 果てとチーク・つづきの公演『きみはともだち』作:升味加耀 - 角部屋日記

 

自分語り(仮にこのテキストを読んでいる人がいて、自分語りとか別でやれって言う人は読まないでね)

冒頭に書いた「それは他者と対峙し続ける劇中の人々への羨ましさかもしれないし、取り戻すことが難しい過去の時間や関係かもしれないし、複雑な現実へのなにかかもしれないし、なんなんだろうで。」ってやつ。こうして色々書いてみるとやっぱそうだったかもしれない気持ちをこの演劇との距離ということにしてしまっていたのかもしれないなと改めて思う。別にそれだけじゃないのはすでに書いていること含めてだけど。

一方的にわからなくなった関係を避けたいと思っていた恋にして終わらせたこともあったし、他者から向けられる(恋愛関係に限らない)でかい感情が苦手で飄々としてしまうこともあった。自他ともに認める?私はあんまり他者関係がうまいほうではない。でもそれは人生ずっとそうで。あんま長生きはしたくないけれど、くよくよすんのもだいじだけど、ちょっと違う自分をやってみるとかもそれこそ変容可能性だし、今日まで生きてきたし、多分明日も生きているだろうしなので、ちょっとずつだなあである。

 

 

おまけ?ーーこのおぼえがきをしたためつつ聞いていた曲たちのをいくつか

イ・ラン『SHAME(Japanese Ver.)』

柴垣竜平『武蔵小金井

のっぺら『そういえば深海魚』

沖縄へ行った

部屋を片付けようとして床に目線をやったらパンツが落ちていた。ちゃんと洗濯機に入れたほうがいいので爪先でパンツをひょいと持ち上げ勢いをつけたらちゃんと洗濯機に入った。

さいきんのお茶事情:黒豆茶、普洱茶、玄米緑茶を気分で飲み分けている。水出しするのも面倒くさく、コップにパックを入れて水を継ぎ足している。

 

10年ぶりに沖縄に行ってきた。発端はIGのDM。沖縄に引越しをした友人に「いつ遊び来てくれるの〜」と言われて日程を確認した直後に航空券のチケットのスクショを送信したことだった。何がしたいでもなく衝動的だった。

旅行にあんまり関心がないので国内線は人生3度目。沖縄・福岡・沖縄。初めて飛行機に乗った直後は月間AIRLINEを買うほど飛行機にのめり込んでいたはずなのに、飛行機になんの感動もすることなく沖縄についた。

15時頃に着陸して腹が減っていて食ったソーキそば、だしは冷凍たこ焼きを思い出す味で肉はほろほろ甘めで苦手な部類の味だった。チャレンジ失敗である。

モノレールのホームに移動すると空港と反対側に小さく数人の自衛隊が見えた。こんなにも武力が近くに存在するのかと突きつけられる。

2泊3日、ずっとふたりきりは心の準備がつかなくて、どうしようで沖縄県立博物館・美術館へ。道中にNAHAというオブジェがあったので反対側にまわってAHANにしてDMをしていた別のマヴに送信した。『ブラック・ジャック展』原稿や医学者としてのスケッチ、手塚の子らのインタビュー、膨大な漫画の紹介。結構記憶にあるシーンがあり、意外と僕は子ども時代にブラック・ジャックを読んでいたらしかった。各お話にキャプションが付いており、学芸員さん相当大変だったろうな。『沖縄の彫刻たち』では富元明雄の作品と石井鶴三の「彫刻とは凸凹の妖怪(おばけ)である」という言葉が良かった。『沖縄美術の流れ』ではKINA Lauraの『ブルーハワイ』という作品が良かった。博物館の常設展示を観て退散。

「あと30分くらいで着きそう」とDMして、オリオンビールさんぴん茶を飲みつつ徒歩で友人宅へ。沖縄の道端で観測できる花は赤・黄・薄紫が多かった。緑が元気だし、空が広くて気持ちがよかった。モロッコの民家が好きだった。四角くて、屋上があるそんな家。沖縄の民家にも近いものがあり、歩きながら家を、空を、植物をみていることがとてもたのしかった。

こないだぶりのやっほ〜。荷物を置いて街へ。獣肉を好まない同士なので食のすり合わせハードルが低い。スパイスか魚がいいなを伝えたらミャンマー料理屋へ連れて行ってくれた。お茶サラダ、めちゃくちゃ美味かった。永遠にしょっぱいので永遠に酒も飲めた。売上の一部がミャンマー支援にあてられるらしい。お釣りもわずかだけど寄付をした。ジェンダークィア、最近の生活、障害、家族、作品制作、葬式、政治、明日・明後日どうするよとかの話をずっとしていた。ちゃんと話すのは3度目くらいなはずだけど、最初からこんな感じだった気がする。全然違うけれど共有できていることが多い。

風呂風呂風呂!で近所のホテルに日帰り入浴。浴槽がふたつに別れていたけれどどちらも温度計は42℃をさしていて違いが分からなかった。結果貸し切り風呂を堪能して煙草すって、コンビニで酒を買って帰宅。そういえば沖縄はドリンク種類が多様で、コカ・コーラボイコットとかがしやすいんだとかを話した。

そういえば到着時間が分からずに待っているのドキドキした、苦手なやつって言われた。僕もそうなのでめちゃくちゃ気持ちがわかってごめんだった。光が苦手、睡眠がうまくいかない、そういうのって数時間だとあんまり共有せずに過ごしてしまうからなんか新鮮でもあった。

質問が書いてあるカードを引いて、それにお互い答えるっていうSEKIRARA for FRIENDSっていうのをやろう言われてやって、普段聞かれないようなことをいろいろ話した。お互い眠れなさそうだったけれど明日があったので寝る体制になった。僕は割とすんなり入眠できた。

 

朝が苦手だという友人。起きてみたら割とそんなことなさそうだったけれど気をつかってくれていたのだろうか。身支度をしてレンタカー。普段くるまに乗る機会が多くないので、うぉいうぉいしながら沖縄自動車道をぐんぐん北上していく。サービスエリアや道の駅をいくつか寄りながら、昼飯。ヴィーガンダルバートを食った。普段食っているダルバートよりも幾分か優しい味。沖縄食材がいくつか使われているようだったけれどそこらへん疎かったので食材がよくわからなかったのがぬんぬんぬん。帰りがけにトマトの苗をもらった。僕は持ち帰られないので友人に苗を託した。

本部町営市場でラテを飲みながら石川真生の展示録を読んだ。

僕の唯一リクエストで国立ハンセン病療養所・愛楽園へ。自治会が運営する資料館で常設展と特別展『命の記憶─沖縄愛楽園1975』を観た。回復者や当時の患者のテキストや語りが多く、沖縄戦の影響もしっかりとあった。沖縄タイムス1998年8月1日の記事、そこに僕がハンセン病に強く興味を持ったきっかけ?に近いことが書かれていて。

宿に向かう車中、なんで僕がハンセン病資料館に行きたかったを少し話した。そういえば初めて国立ハンセン病資料館に行った時も同行してくれた人に何を思ったかを聞いてもらったことを思い出した。誰かと一緒になにかすることの意義?をほんのちょっと実感できたかもしれない。

一棟貸しの宿?Airbnb的なやつに到着。まじで運転ありがとう。オープン間もないらしくて綺麗だしめちゃおしゃれでそのまま東京に持ってきてえな感じの建物だった。そんでもって泡盛4種が飲み放題。徒歩30分くらいかけ街の食堂へ。刺し身と地魚のフライ定食とビール。海岸沿いの店を後にしたらちょうどサンセットタイム。コンビニで酒を買い込んで日が沈みきる前に帰宅?シャワー浴びて、酒を飲んだ。道中で購入した200g700円の海ぶどうは永遠になくならないし、ふくろいっぱいで500円のシークワーサーは泡盛にたらすのに無限であった。ミズレモンというパッションフルーツ的な中身の不思議フルールは不思議な味だった。

 

9時頃起床。10時までに起床の約束で友人は眠っていたのでネットサーフィン。一生縁のないと思っていたけれど自動車学校を小1時間調べていた。日本には全部で13の国立ハンセン病療養所があるけれど、どれもアクセスしにくい場所にあって(療養所が意図してそういう場所につくられている)僕はまだ多磨全生園と沖縄愛楽園しか行ったことがないので、他の場所に行くのを目的に運転免許証を取得するのもありか?と思った次第である。10時過ぎ、友人起床。布団を片付け、身支度をして出発。

滝を目指していたが、道中で昨年の大雨の影響でどこの滝も封鎖中なのを知り海へ。小さな海岸だけれども人は10人くらいで、青空だけどちょうど太陽に雲がかかっているくらいの最高条件だった。10年ぶりの海水浴。タンクトップと海パンで海に侵入すると、歩いて3歩くらいで小魚がたくさんいた。ゴーグルをつけて数メートル進んだだけで数百匹の魚の大群。ウミヘビやダツに似たやつもいてちょっとひぇっともなったけれど少し海が好きになった。各々泳いで、一緒に煙草を吸ってを数回繰り返して海とバイバイ。道の駅で海鮮丼。海からあがって少したって肩にひりひりとした痛みを感じはじめた。日焼けである。太陽を舐めていたし、雲を過信していた。タンクトップで泳いでいたな!がひとめでわかるくらいに肌が赤い。ぬんぬんしてたがまあ普段ひきこもっているんだしこのくらいって感じで無視することを決めた。

那覇に戻るために昨日ぶりの沖縄自動車道を南下。2時間ちょいで南北縦断できるくらいなことを改めて実感した。地元スーパーをリクエストしてちょろっと買い物をして空港まで送ってもらった。じっくりはあんまりないけどやっほ〜みたいな感じでは年に数回あっているので、まあまたそのうち会えるでしょ〜でそれまで無理のない範囲でのヘルシーでいれたらいいねを言葉にしてバイバイ。

POKKAのグァバ茶がめちゃうまかったな〜。

以上、沖縄でのことのメモ。

 

今日の僕的
柴垣竜平「武蔵小金井」はYoutubeになかった

0723くらいから0726くらいまで

8月がじりじりしている。

 

★今週買った本

複業ZINE
GOAT meets 01
どこかの遠い友に 船城稔実詩集』船城稔実
無意味なんかじゃない自分 ハンセン病作家北條民雄を読む』荒井裕樹
物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』難波優輝

 

★別のところからの転記

労働先?のチームmtgで業務共有とプライベート共有があって同僚に共有したい/してもいいプライベートなんでほぼないんだがで毎回をやりすごしていて今週分に「開票速報を見届ける会を友人とした」と書いたら、「政治に興味ある若者珍しい!」とコメントバックされてしまいバシルーラ!って気分になってしまった。

料理は勘でやっている。初挑戦で大成功!になったやつをもっかい!やってみると大体初回の方がうまかったになる。

友人との会食、予約してくれていた友人の苗字、結婚後の変更苗字を知らなかったのでレジ前で電話して苗字を聞いた。LINEの登録名に反映しようとしたら長い苗字だったので元の苗字を削って登録した。苗字なんて本人の好きなようにあってくれなんだけど(僕は苗字好きじゃない)、苗字を消すあるいは変えるってなんか印象的だった。飯はそんな好みじゃなかった。

Adobeのセールが今日までで、うーんとかなりながら買ってしまった。目的が特別あるわけでもなかったのに4万ちょい。なんとなく応援してほしい。僕がなにかつくれるために。ありがとう。

久しぶりにTwitter開いたら相変わらず「おすすめ」タイムラインちゃんとキモかった。IGのポスト欄は別のキモさがあるのでIGストーリーぐらいがちょうどよい。

国立ハンセン病資料館へ初めて行った時、一緒に行った人と喫煙所で話をした時のことを思い出した。ハンセン病について特別な思い入れがある。それはほとんど他者に伝えていない。顎々と振る舞ってしまうことは簡単じゃねえ時もある。

なんかバグって家賃タダにならないかな~

 

★水と油

自炊が面倒くさくなって冷凍餃子を買った。水と油を入れなくていいよってやつでなるほどふむふむで作ってみて、いや油は敷くべきだったなのできあがりになって、これは僕の調理のせいなのか、商品自体が油を敷く工程に優れていないのかでまあ油くらい敷いていくかであった。餃子、別に好きでも嫌いでもないなであった。昔は餃子が嫌いだった。

 

★観た演劇

結構たのしみにしていた演劇。ポジティヴなこと書かないからタイトルは書かない。そもそも夜公演もあったのに予約時に何も考えずに昼公演を予約した時点からミスっていた。炎天下の中、徒歩20分で会場へ。前回公演がちょっとう〜んとなりつつも総じてよかっただったので期待していたのだが、150分間、観に来てよかったなとなる瞬間が一度もなかった。別に悪いとか嫌いとかではなくて、ただ私が観るものではなかった的な。2026年の6人での出来事を2036年に5人が代わる代わる(話者人格も固定ではない)していたのだが、キャラクターをやってます感が僕的には強すぎるように感じたし、時代設定をそうしたこともあんまよくわからんかった。そもそも私が社会を知らなすぎるせいでピンとこないことも多々あった。ちょっと印象的なトピックがぽつんぽつんと出てくるが、どれも雑?というかふわふわしていて?掴みどころが分からなかった。

好き/嫌い、良い/悪いじゃない、どうでもいいというか、興味がないというか、私は対象じゃないみたいなことが私には多すぎるのかもしれない。私よもうちょい世界とである。かもしれない。

 

★マヴチャットで知った漢字

「溌剌」(はつらつ)
僕はそこそこ漢字を知らない。マヴ的には、「みず はつ さし」。マヴの引っ越し手伝った時に、この近所にはびっくりでっかいひまわりが夏に咲くんだよ〜を伝えたことがきっかけだった。マヴのIGストーリーの例のひまわりが登場して、「健在でなによりだった」「溌剌としてた」であった。まあでっかいといっても全体的にでかいわけではなくて背がでかいのでっかいであるんだが。

★思い出してなんかいいなだった英単語

「whim」(きまぐれ)
きまぐれって感じがするし、字面も発音もなんか可愛くて好きである。

 

★地下鉄の風

最寄りの地下鉄が大江戸線でホームまでそこそこ長い距離エスカレーターに乗らんといけんし、音がでかすぎて苦手である。地下鉄は都市部限定の交通だなと思う。東京と京都でしか地下鉄乗ったことないから都市部限定が正しいかは定かではないけれど。19歳まで茨城県で育ったのでもちろん地下鉄なんて身近にはなくて、そこそこ東京に来ていた中高時代も、JR乗り放題切符的なやつを利用していたので、JR以外が最寄りの場合はできる限り歩いていた。当時の地下鉄といえば、国立新美術館へ行くときの乃木坂駅くらいだった気がする。今日あっついあっついした後の大江戸線で風を感じた瞬間に、ああ乃木坂駅となった。僕にとっての地下鉄は乃木坂駅なんだなであった。

 

★思想と食いもん

食えないものが結構多い。食えても身体に合わないってものもそこそこある。選挙結果を見ながら思ってしまったことがある。僕は小麦粉が苦手なのでそれを伝えたら現在最高にキモい参政党支持と勘ぐられたりするだろうかということである。それを伝えたらさすがにそれは大丈夫でしょって言われたけれど、牛が食えないと言えばほぼ100で宗教?と聞かれるし、天ぷら以外の和食に興味がないと言ったら非国民?と聞かれたこともあるので、ほんのちょっとだけ気を張ってしまうのである。

 

★嘘をついた

選択肢:①A、②B、③どちらでもないであった時に、「Aですか?」と聞かれたので「はい」と応答した。事実はBである。まあAとBに大差はない?ので、その後の文脈に影響はなかったので、一瞬の嘘だった。意識的についたであろう嘘の前回が思い出せないくらい久しぶりの嘘だった。秘密にする、応答しない、黙する、隠すとか、嘘と近しい感じもするけどちゃんと違うことをすることは全然あるけれど、嘘をついたのはほんといつぶりだであった。別に悪いとも思っていない。私に提示された選択肢の幅が狭かったのだし、そうした背景には個人に収束しない社会背景があるので。まあでもなんか今月うっすらと意識の片隅にそれが残っていたので、どういうことなんかなあ内省チャンスである。

 

 

★今日の僕的

石指拓朗 - 朝

0720選挙と0721狼煙

250720

大久保。ネパール料理屋がたくさんあって、いろんな野菜やスパイスが手に入って、いろんな人々が生活している好きな街。電車で一駅。歩いていくか電車か迷って、そういえば昨日日傘をなくしたんだっけで電車。家から駅までの1分がちゃんと暑い。

大久保駅で下車してまずはランチ。気になっていたポカラへ行くがまさかのお休み。IGでチェックしておけばよかったなで近所のアーガンへ。ナングロガルではネワール族のプレートが好きなのでここでもネワール族ミールからどれにしようかなでいっちゃん先頭に書いてあったネワリボジセットを注文。12種類のあれやこれやにマッコリ風のネパール酒がついてきた。量も味もナングロガルの方が個人的には好みだったけれどちゃんとうまかった。トマトペーストには煮干しが入っていてどこかで食ったことありそうだけど思い出せない味で美味しかった。あとタケノコのカレーもめちゃいい。フェヌグリークの漬物は家でもやってみようだし、タマリンドスープにはめちゃ梅干しを彷彿とさせられた。違う店で食ったポークビンダルーに梅干しを感じていたのはタマリンドだったのでは?でちょっと嬉しくなる。12種類、2,200円から想像可能なめちゃボリュームで1/3くらいで満腹になるもなんとか完食。

西の方面に進んで食料調達。青唐辛子、にんにく、パクチー、プラム、バジルを購入。なんとなくタコスに使えそうで選んでいたけれど、頭の中には明確なレシピはまだなく。

暑さに負けそうになりながら帰宅。マヴが更新していたnoteがよかった。いまは遠くに住んでいて会うのはたまにだけれども、ちゃんと政治をしている姿を僕に見せてくれたいた14年前の彼の姿はいまもちゃんとあった。シャワーを浴びて部屋を掃除。一時期月2,3のペースで友人を部屋に招いて料理を振る舞っていたことがあるけれど最近はめっきりで部屋に人を呼ぶのも久しぶりだった。行場のない本や服をどうにか押し込む。本日のメインテーマは開放速報を見守ることだったので、ブリキの缶を4つ積み上げその上にそこらへんにあった木の板を置く。労働用のディスプレイとMacbookをセット。ダイニングテーブルを囲みながら少し視線をあげた位置に放送セットが用意できた。はじめての試みであったがそこら辺にあるもので意外となんとかできた。

再度シャワーを浴びて調理開始。絶対使いそうな野菜を片っ端から洗って水をきり、冷蔵庫へ。すかさず塩豚を仕込む。そうこうしている間にお久しぶり3度目くらいのAがこんばんは。そこはかと挨拶だけして調理スタート。僕は料理している間は基本そんなしゃべんない。そもそも久しぶりすぎてどう話していいかもわからない。てかなんもしてない時でもそんなちゃんとしゃべらない。Aがどうだかわからないけれどそんな感じマイペースで調理を続行。バジル・塩・オリーブオイルをブレンダーにかけてジェノベーゼ。完全に混ぜ終わった後ににんにくと松の実を入れ忘れたことに気づいたがめんどいのでスキップ。赤と黄のパプリカをオーブンにぶっこみ15分。スライスしたズッキーニを入れる余裕がなかったのでこちらはフライパンでソテー。この夏の発見はズッキーニソテーがうまいということ。グリル野菜OK!で思い出してソースづくり。水切りしていたヨーグルトは想定よりタプタプだったけれどしゃーなしで塩・レモン汁・ディル・にんにくを入れて最近のお気に入りの味へ。ああ野菜パート2!でトマトをカットして、醤油・酢・ごま油・生姜のソースにぶっこみ。ごま油があんま好きじゃないので我が家のごま油はこの中華風トマトにしか使用されない。塩豚を冷やしつつ肉つながり。蓮根を刻んで粗い合い挽きと炒める。味付けは塩・にんにく・青唐辛子・パプリカパウダー。魚が足りない!で冷凍サバを焼く。冷凍サバはレモン汁と酒にちょいと付けて臭みなく食える。うまい。プラムとぶどうも洗って冷蔵庫へ。焼きナスとかチーズじゃがいもとかもつくろうとしていたけれど、BとCもやってきたのでもう食うかだったし、そこそこ量も担保できたのでよしとした。メインのタコス生地!と思ったけれど、予備で買ってきていたバケットと腹減りの機運も相まってタコスは断念。マサ粉の出番はまた今度。

結局ラインナップ
①ピクルス(成城石井
②グリル野菜:パプリカとズッキーニ
└ヨーグルトソース
③焼き鯖
ジェノベーゼソース
③冷やしトマト
└中華ソース
④サラダ
⑤塩豚
└にんにく醤油
⑥スパイシー蓮根ミート+パクチー
⑦プラムとぶどう

って感じだった。いつも通りとひさしぶりとはじめてのちぐはぐクッキングだったがみんな完食してくれてよかったであった。

特に近況報告とかもなく、飯を食い、酒を飲み、開票結果を観ていた。それぞれどんな気持ちでこの選挙期間を生活していたか、応援政党のYoutubeを観たり、うええとかそんな感じであれやこれや。

ご近所すぎる本屋さんPlatform3に行ったことない!行きたい!とCが言い、4人で閉店間際のPlatform3へ駆け込んだ。あの人の新刊これとか、これ持ってる?貸して〜とかしつつ各々が本を購入。僕は『GAZA KITCHEN パレスチナ料理をめぐる旅』を購入。怒涛のクッキングラッシュ後だったり、岡真理監修だったり、出版があのオレンジページ!?であったり、ちゃんと現在のパレスチナについても触れられていたりで買うっきゃなっちゃんであった。店主におやすみを告げて帰宅。

Dも合流して5人で開票見守り会を再開。後からDに言われて気づいたけれど、その場の5人の比例への投票先が全員一緒だったので、ちょびっとばかしの連帯感というか同じ方向を向いている人々がちゃんと近い場所にいてくれるの心強いであった。

終電の雰囲気が近づいて来たところでA,B,Cが各々のタイミングで帰宅。毎度のことだけど明るくはなれない結果を見つつ、ゆるやかに生き続けようねとお互いに声をかけていた。

差し入れコーナー:

A ホットグリンピーススナック(めっちゃ大好き)、ごぼうチップス(安定にうまい)、ドライグアヴァ(程よい甘さでドライフルーツのぎゅいんな甘さが苦手な僕でもうまいだった)
B ぬか漬け豆腐(普段ぬか漬けを食わないのでBはいつも新鮮な味覚を与えてくれる)
C プラム(プラムはりんごと並んで2大大好きフルーツ!)
D チーズ(チーズはうまい)

気が向いたらチャリで帰る〜というDとふたりで見守りを継続。Dとちゃんとふたりきりタイムははじめてだったかもしれなくて最初はちょっと緊張していた気がするけれど結局6時半までおしゃべりしていた。左翼・リベラルはどうあれるか、東京都の市区町村別投票結果みながらどこなら住めるか、他者との関係や距離、ノンポリなっていたかもIF、WAISの結果みせあいっこ、政党HPチェック、とかとかふたりきりの6時間はあっという間だった。

6時半になっておやすみばいばい。冷蔵庫のビールをひとりで空にしきって午前7時就寝した。

 

250721

10時半起床。めちゃくちゃ眠かった。幸いに二日酔いはないが顔はパンパンだし、気力もゼロ。ダイニングテーブルには空になった皿とコップたち、空き缶。人々がたしかにそこにいた形跡。ホムパの翌日のその景色が僕は堪らなく好きである。人々といれたことも、形跡を見ている僕がちゃんと孤独であることも。それらをちょっとの間眺めつつ、いけんいけん家出る準備でシャワー。必要そうなものをトートバッグにぶっこんで駅へ向かう。総武線で東へ30分。比例の開票結果を確認していたらあっという間に亀戸。初めて降りる駅。コンビニでツナマヨおにぎりと水を購入。近くの木陰でそれらを胃に収めて、九龍城飯店。

のろしレコード10周年兼レコ発イベント「狼煙唱片 魔ッ窟大乱闘」。顔はめパネルに迎えられて会場へ。余興?前座?のカラオケ大会はハラナツコさんの歌がぐうかっこよくてくらくらだった。てかカラオケと縁遠い人生すぎてカラオケ空間にいるの人生で3度目くらいだった。ちょっとカラオケもいいかもなになれた。

本番!?『テネシーブルース』からはじまって、うわあのろしレコードだあでライヴ空間にすっかり身を落とした。続いて大好き『Rock'n Roll Gypsy, part2』でああマジ来てよかった。スタンディングライヴ。昔は頑張って中央最前を目指していただけれど最近もっぱらは隅っこである。疲れたら座り込めるし、サイコ〜な時は存分に踊れる。

あっという間にアンコール。折坂悠太が「昨日は選挙でしたね。テレビを見ながら暗澹たる気持ちになりましたが、こうして多くの顔をみれて・・・」的なことを言っていた。そうだよねになりつつすかさずの『ダイジョーブ』。「大丈夫、大丈夫自分に言い聞かす」に合わせて、「大丈夫」と声に出した。ラストは『のろし』。 「あのでかいビルのガラスを割ってきみに元気だった伝えよう あのでかいビルからのろしをあげて迎えにきてもらう」でつらつら涙が頬を伝う。夜久さん、松井さん、折坂さん3人の生声と歌詞にじゅんじゅんにやられてしまう。その歌詞がしめすそれに憧れているのかもしれない、いつかちゃんとのろしをあげられる時まで。

帰りの総武線、久しぶりに電車で寝た。ちゃんと一駅前で起きて、帰宅して即寝。久しぶりにぎゅいんぎゅいんした週末だった。

 

のらりくらり生きてきたと思っていたけれど、ちゃんと壁があると言われたり、自分の口から出る言葉にはっとしたり、政治だったり、生活だったり、他者と飯を食い話をしてとライヴという2大生きている空間を連続したりであった。

 

「この部屋もそうだよ。本棚も冷蔵庫も寝床もあけっぴろげなのに、だから、ちゃんと触れられない壁がある」

 

想定されたライフコースをそもそも望んでもいないけれど、やっぱちゃんと大変かもしれない生活と、他者との難しさ、いろいろあるけれど、会い続けられている人々、久しく会えていない人々、もう会えないかもしれない人々、まだ会ったことのない人々、一緒に飯を食って話がしたい、というかできるようになっていきたい。

 

ちゃんと寝よう。ちゃんと発話しよう。

あらゆる差別、暴力、排除、不条理・・・への抵抗として生存!である。

 

 

今日の僕的:

松井文 - NOT MY DAY(Official Live Video at JIROKICHI

京都 0627~29

2025年6月27日

朝5時起床でパッキング。2泊3日なのに旅に不慣れ過ぎて上半身用の服は9回着替えられる分をスーツケースに詰めていた。家を出る直前でスーツケースが開かなくなる。ロック番号これだろのはずなのに開かない。最悪壊せばいいやでとにかく家を出る。5時28分に東中野総武線。新宿で中央線に乗り換えて東京駅。新幹線チケットと北海道弁当的なやつを購入。ホームで煙草を一本吸って6時15分東京発の新幹線に乗車。朝食用の弁当を食いつつひたすらにスーツケースの3桁ダイヤルを回す。ロック箇所は2箇所あってどっちも同じ数字だと思っていたけれど昔の僕は律儀に別々の番号にしていたみたいで数十分の格闘の末に開栓。中央線で調べた「スーツケース 鍵開け 京都」は杞憂であった。一安心。8時24分京都着。金曜日を有給にしたけれど京都オフィス出社でそれなりに労働するもできたなであった。京都で労働した経験を残したくはないけれど。四条河原町の喫煙所が京都のはじまりなのが僕の京都旅なので駅前からバス。最寄りのファミマでインドの青鬼を購入し、川べりの喫煙所で一服。後々気づくのだが京都市内のコンビニのインドの青鬼ある率が異常に高い。僕得である。ずっとインドの青鬼を飲んでいた。手に入りやすいビール部門でぶっちぎり大好き1位なビールである。IBUは高けりゃ高いほうがいい。そういやで調べた新卒同期仲良しが一時期努めていたビール会社が参政党のビールを請け負っていったのを知って、そいつがいまはそのビール会社をやめていることにちょっとほっとした。ビジネスなんていち組織構成員がどうこうできるもんじゃないのはわかっているけれどもそれでもぬ〜んってなるのはぬ〜んってなっちゃうから。

とりあえずスーツケースを預けたくて鴨川沿いを市役所前までのぼる。途中かわべりで休憩していると高校生とおぼしき男子学生とおぼしき6人組がわちゃわちゃしていた。3人はポロシャツで3人は青チェックの半袖Yシャツ。自分が高校生だった頃に白無地ポロシャツ・白無地Yシャツ・青チェックYシャツの選択肢があった時に青チェックを選べなかっただろうなと思えたら、高校生で青チェック半袖Yシャツを選べている眼の前の高校生がめちゃくちゃ尊い?気持ちになっていた。6人がおんなじ姿勢で鴨川の鳥に向けてスマホを向けている姿、キラキラしていて、そんな青春にちょっと憧れた。素直さの良い悪いは置いといて素直な若さにちょいジェラだったかもしれない。

下津光史のライヴと京都の友人との逢瀬以外に目的がなかった2泊3日、ホテルに向かう道中で「京都 クィア」と検索した。目ぼしいヒットがない中で唯一ヒットしたのが関西クィア映画祭主催のパレスチナ連帯映画上映イベントで即エントリー。ホテルにスーツケールを預けて身軽になって京都府立植物園へ。昔の僕、google mapsにピン立てしてくれててありがとうだった。反時計周りに園内を歩く。植物の影に入ると風も相まって割合涼しい。植物たちとそこにいる人々を眺める時間はとても心地よかった。特に入口近くにあったタイサンボクは大きな白い花弁と芳醇な香りがピークだよ!って感じで最高だった。たまたま開花時期だったらしいアモルフォファルス・デカスシルヴァエ(ギリシャ語でぶさいくなちんちん的な意味らしい)は匂いがちゃんときつくてなんとも言えないそれだった。それに出会う道中で関西弁のおばちゃんに「においきついやつもう見た?わたしらみのがしちゃったかな〜」みたいな急な問いかけをうけて、うおうおであった。わたしもそういう感じになっていけたらいいなである。そういや幼児たちがバスで登場して園の入口で先生の「せのじゅん〜」って言う掛け声でささっと整列していた。背の順ってなんやねんでもあった。もうちょい適当に並べるほうがよいだろうなと思えるのは大人になったからだろうか。

デルタで涼んでタナカコーヒでハンバーグカレーランチ。今出川のタナカコーヒは僕的マストスポット。そういやタナカコーヒ今出川店のトイレ札は「TOILETTEN」だった。なんでドイツ語なんだろうは未だに謎である。あとデルタ、上裸男性が多かった。鴨川沿いの半裸男性はその日だけで6人観測した。

川沿い歩いたり古着屋覗いたりでいったんホテルでシャワーと着替え。半袖で過ごした京都半日で腕が日焼けでまっかっかであった。日焼け止めぬったはずなのにである。難儀であった。

友人との予定までホテル近くをふらふらと。数年前と比べても灰皿減ってる?だったので据えそうな煙草屋へ。煙草を二箱買って「吸っててもいいですか?」で一服。煙草屋の中で吸えるタイプのそれ。椅子が2脚と灰皿がふたつ。キンパの20そこそこに見えるにいやんふたりに囲まれつつちょっと小さくなりながら喫煙。にいやんたちが「ありがと〜」と煙草屋のおばちゃんに声をかけつつ店を出ていくと、入れ代わり立ち代わりでいかつめにいやんが煙草を吸いに入ってくる。煙草を買わずともちゃんと挨拶しつつ煙草を吸っている人ら、あんま見ない光景でなんかよかった。なんかよかったつながりでいくと「忘れ物 6/15」という付箋が貼られたビニール袋の中にはライターと煙草。煙草屋で600円くらい出せば買えるそれらを律儀に10日以上忘れ物としておいている煙草屋。10日経っていたら持ち主は現れないだろうし、現れたとしてもその店でライターと煙草買っていきって僕なら思っちゃうなあで優しいながむんむんだった。

友人との待ち合わせに向けて鴨川沿いを歩く。暗い。スマホのライトを灯けながらあるくほどに暗い。東京では新宿〜中野らへんが夜な夜な歩くエリアなので比じゃない暗さである。防犯的にはもうちょい明るくあってくれだなと思いつつも日常にあの暗さがあることに少し憧れてしまった。新宿の空は街の光が反射して夜でもとっても明るい雲たちなので。

夜飯はブリトーパクチーモヒート。ちゃんと話すの2回目くらいの友人だったし、僕はがっつしヘアカット後だったのでドキドキこんばんはだった。基本人との予定前はドタキャンしたい気持ちになるのに余計ドキドキだったが過ごしてしまえば杞憂で。本目的まで時間を持て余し、鴨川、平安神宮、LAWSONでガリガリ君。恋バナするにしても恋愛に距離がある僕なので話すことないねん思うていたけれどどれだけ距離があるかを話すのも恋バナの一種なのかでもあった。

日付が変わる頃にClub metroへin。10年くらい行きたい思っていた場所に初来訪。ドラァグショーは最高だった。特にショコラドショコラさんがまじでミューズすぎてびびりびりびりかみなりどんどん!だった。年齢層様々だし杖をついたりいろんな人がいる空間なのもぐうよきであった。4時前くらいだったかな河原町丸太町の交差点でfist bump     してバイバイ。友達になれていたらいいな〜(これは相互認識なのでせめて自分からは!なやつ)であった。

ホテルまでてろてろ歩いてシャワー浴びて入眠。

そおういやこの日31歳になった。自分のも他者のも誕生日があんまりあんまりなので各種SNSでの誕生日は非公開設定にしていたはずなのにちょくちょくアップしていたIGストーリーに誕生日おめ的なやつが来ていて、嫌ではないんだがどうやってリアクションしたらいいんだっけであった。誕生日とあんま折り合いがつかねえなである。なくても困らない。

2025年6月28日

10時頃起床。シャワーを浴びて着替えて、腹が減った。麻婆豆腐が食いたいなで近所の中華屋を検索。市役所前の交差点を越えて鳳泉という中華屋へ。20分くらい並んだ。メニューを開くと麻婆豆腐がなくて急いでネットでおすすめを検索。春巻きとえびかしわ麺がおすすめと出てきたのでとりあえずそれでいいかで注文。書いている今で3週間前の春巻きの詳細は思い出せないけれどとりあえずうまかった。えびかしわ麺は鶏肉いらんなであった。あくまで肉があんま好きくない僕の好みである。レタスと辛子はいい感じであった。

百万遍までバスに乗り、京都大学西部講堂へ。オフィシャルに京都大学に用があったのは人生二度目。部外者的京都大学感を感じられる建物ないでパレスチナ連帯のクィア短編映画集を観た。昨日のクラヴもだったけれどクィア!って感じの場にシスジェンダー男性がほぼいない現象はなんなんだろうである。あんなにネット上とかハッピーとされる場で幅きかしている割にクィアやトランス、インターセクショナルな連帯の場に出てこないことになんなんねえな気持ちが募る。

LUUPでホテルに戻る。京都に来てはじめてLUUPを体験したがバスアクセスがびみょい場にぴゅっといけるし、知らん街をぎゅんぎゅん進めるのは心地よかった。シャワーして着替えて、下津光史を求めて紫明会館へ。入場順がほぼケツだったけれど最後列の最央席を確保。後ろにお客がいないのでちょいと席をずらせば視界の中央には下津光史な最高席だった。ソロでいっちゃん好きな「襟を立てて」を2曲目で泣きながら顔面をぐちゃぐちゃにした。キュートな建築と西陽な夕日とギュインギュインな下津光史。京都まで来てよかった、チェリッシュタイムであった。

昼の麻婆豆腐チャレンジで再びのLUUPで東北屋へ。夜の鴨川沿いは川のせいか涼しくて風がとても心地よかった。そんでたどり着いたぜ東北屋は満席。向こうに目を凝らすとマルシン飯店も大行列。2大街中華を諦めとりあえずホテル方向へ。観光客とは無縁の京都旅が常なので人混みに驚いた。ワイワイな店にひとり入る気力もなくコンビニでもいいかになりつつ唯一食える豚骨ラーメンでちょい気になっていたな出来心で天下一品。麺があまりにも小麦でぜんぜん駄目だった。後悔200%でホテルへ。シャワー浴びて就寝。ダラダラしつつ流したテレビではパンダと猛暑日についてが延々と流れていた。

2025年6月29日

そこそこはやく起床。チェックアウトしてとりあえずスーツケースを京都駅のコインロッカーへ。出来心で如意ヶ嶽を目指す。京都駅からLUUPに乗ってgoogle maps的如意ヶ嶽最寄りのLUUPスポットまで。そこから如意ヶ嶽入口とおぼしきところまで徒歩30分。コンビニがなく、起床から腹の中は水のみの状態でゆるい上り坂とさんさん太陽。いつでも行倒れるなな感じでとりあえず歩く。山感満載の高い木々でいよいよか!なところで「立入禁止」の文字。google mapsはそこを越えていけ!ってしているけれど他の道もなさそうであえなく退散。下り坂と日光を思うとぐにゅぐにゅな気持ちであった。無理だよ無理だよ思いつつ歩けばいつの間にかバス停でとりあえず中心部へ。バスの冷房に生命を救われた。もう帰りたいくらいの気持ちだったのでとりあえずタナカコーヒで駆け込みモーニング。辛子が聞いたミックスサンドに救われた。

原了郭で薬味を買って、伊勢屋でちりめん山椒と漬物。母に送る分のために送付票を記入していると、店主に「もしかして?」言われて、そうです、この名字の子です。あらまあ!で20分ほど立ち話。ちりめん山椒をどうやって作っているかや最近の京都観光情報、おすすめランチについて話を聞く。女将さんのおすすめランチをそのままなぞった。へとへとだったのでおすすめ書かれている茶そばを頼んだらあったかいやつで、それが目の前にあらわれてから冷を注文するんだっただった。そこそこうまかった。

ランチ後に向かいの銭湯の入口の灰皿で一服決めようとしていたらちょいやんちゃめにいやんに話かけられた。どうやらその銭湯の店主だったらしく、京都観光はどうだったとか東京ではどんな生活しているかをちょいと立ち話。銭湯に立ち寄る気力がなかったので次回こそは入りに来ようで帰路。

京都駅のいつもの売店阿闍梨餅を買い込み、新幹線。17時には自室に倒れ込んでいた。

 

夏の京都に耐えられる身体ではないことがわかったので夏以外にまたねである。次は私設図書館にも行ってみたい。

旅行に不慣れなので日本で知っている都市は東京と京都しかない。京都は割と好きなのでまたちょくちょくである。

数週間前のこと、あんまりちゃんと思い出せない。まあそんなもんである。それでいいと思っている。

 

さいきんちゃんとあつい

「しんどい、関係性崩したい」ってメモしてあって、なんかの動画を観ていた時のメモのはずなんだけれども出典が全く思い出せない。何を観ていたんだろう。

 

★ビール★

AがBに僕のことをリマインドする時に言っていた「ビールに氷いれて飲む人」、CがDに言ったらしい「瓶ビールラッパ飲みしていた人」。前者はカンボジアで覚えた術だった。ぬるっこいビールしか出てこなくてだれもが当たり前に氷を入れてビールを飲んでいた。豚の丸焼きをライムと蟻と塩で味付けして、氷入りビールで流し込んだカンボジアの夜。1人きりでネパールで年越しをしたあの夜のビールも美味しかった。ヱビスビールを初めて飲んだ時、クリーミー過ぎて無理すぎて一口しか飲んでいないそれをシンクに流し始めた瞬間に友人たちに批難された夜。マヴと京都で赤星を飲んだ夜。あれ以来、瓶ビールといえば赤星になった。缶ビールなら麒麟麒麟がかっこいい。ビジュも味のうち。インドの青鬼も好きだ。苦ければ苦いほどいい。ギネス、あんま得意ではなかったが、ギネスマスターみたいな人と飲んだ時は美味かった。

 

★だめじゃなくなった日の高円寺★

ほとんど眠れなかったあの日。4時過ぎにかろうじて入眠し、6時過ぎには起床していた。当日〆切の仕事が3つあったけれど起床時点でどれも未着手。終了!って感じでの起床。飲んだ薬が身体にあわず余計に身体が怠くなって畳み掛け!煙草も不味くてバッドバッド。それでものらりくらりで3つそれぞれの〆切にギリで駆け込んで、労働終了。久しぶりにほんとうに無理かもしれない日を無事乗り切って夕方のスーパーで夕食何しよ〜していたら「やっほーやほ」で夕飯の誘いが来た。気力が駄目かもだったけれど、いんや行ってみようで高円寺。南口ロータリーで簾を持った友人を見つけた瞬間に元気が出てきた。酒を一口飲んだらもっと元気になって、何年ぶりかのおでんも上手くてここ最近でいっちゃんの元気になった。ザーサイ。煙草を吸って席に戻ったら注文していたあらごしりんご梅酒が来ていて「「あじみしちゃった」」という二人がなんか愉快で最高だった。インドの青鬼を飲みながら家まで徒歩で帰宅した。いつだって人生やっていきである。

 

★そうめん★

何年ぶりにそうめん買っただろう。5束200円ちょい、ストレートつゆは5回で無くなりそうで500円ちょい、両方5回分と考えると、つゆはそうめんの2倍以上だった。薬味はわさび・みょうが・おおば・ねぎ・粒山椒・海苔。薬味がいっちゃんコストかもしれない。そうめん侮るなかれで一束で結構腹に溜まる。腹に溜まるので食後にちゃんと身体が怠くなる。けれど手っ取り早さにかこつけて最近の昼は毎食そうめんである。ちなみに山椒はめんつゆに5粒ほど。すすったそうめんにたまに絡まった山椒が口に入ってきて不意に口の中に痺れと爽やかさが広がるのが最高に気持ちいい。

 

★東京都外★

旅行にあまり興味がないのか苦手なのか遠出をすることが極端に少ない。突如入れられたLINEグループで「6月山梨いくよ」と言われて断る理由もうまく思いつかなかった日からはや1ヶ月。当日が来ていた。旅行なれしていないので持ち物にこまる。とりあえず必要そうなものをかき集めて指定された電車の乗る。山梨なんてすぐだと思っていたら2時間以上かかって自分の地理感覚のなさを思い知る。旅行については割愛。自然もたまにはいいかもしれないだし、純粋に愉しかったが、それでも人といるのはむずいこともあるし、新宿〜武蔵境間の中央線が人生のほとんどでもやっぱいいかもなでもあった。ずっと行きたいが遠くて永遠に行きたいどまりだった中村キース・ヘリング美術館に行けたのはめちゃやったねだった。キース・ヘリング観に行こう!ってなれる人々でよかった。とか書いているが明後日からは京都である。下津光史が待っている。

 

★普通乗車券片道100km以上★

2025年4月から障害者手帳の種別に関わらずJRの長距離移動で障害者割引が適用されるようになったの教えてくれたの誰だっけ。普通乗車券と特急券、セットでみどりの窓口に並ぶ意識だったけれど、別々に買えるらしいので普通乗車券だけ先んじて買いに行った。新宿のみどりの窓口はさほど混んでなく10分ほどで購入できた。新幹線のチケットは当日に買えばいいので、時間単位で予定を立てられない僕にとっては当日の待ち時間もなく乗れるので事前に普通乗車券だけ買っておけるのはやったね情報であった。僕はわりと?手帳持ちフレンズが多いので日常会話でそういうTipsおしえてもらえることあるねんけれど、みんなどこで情報を得ているんだろうか。

 

情熱大陸金原ひとみ」★

”刺さる”ではない「奥深く入る言葉」
「子ども時代っていうのが身にそぐわない人間と身にそぐう人間がいて」
イ・ランを読んでいた

 

★今日のエジンバラ

「今日もう1万歩いってるよ、マヂ歩くの大好き〜」ってめっちゃいいフレーズだった。この後『LOVE in THE BIG CITY』を観る。それを待ちながらこの日記?を書いている。

 

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明日は最低限の労働と散髪。明後日からは久しぶりの京都である。

あと夏だし?タコスパ〜ティ〜したいな〜しようよ?

 

今日の僕的

andymoriユートピア

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