角部屋日記

あったりなかったりすること

2023/12/11 森美・新美・BUGと久しぶりの八重洲

2023/12/11(月)

 

セーター達を洗濯したかったのに天気が悪くて諦めた。マッチングアプリで初めましてするの怠いなと思いつつ、明日飯に誘われた予定が繰り上がって今日になったので、髭を剃り、コンタクトレンズを装着する。煙草を減らそうとしているし、初めましてだし夜まで煙草を我慢するかと思ったが、茶割を飲み始めてしまったので吸ってしまった。まあ別に素性知らん人にそんな気をつかわなくてもいいかと諦める。

洗濯をしてコインランドリーで乾燥をする。セブンイレブンに行くと、エリックサウス監修のビリヤニが売っていたので買って昼食。めちゃくちゃにうまいけれど、チキンカレーもバターチキンカレーも好んで食べるラインナップじゃなかったので、残ってる自分のカレーでもよかったなとなる。ていうか、コンビニ飯は楽なんだけれども、プラスチックの容器に料理が入っていることがめちゃくちゃに苦手だ。ちゃんと器の重さとか、顔とか、温度とかを感じたいせっかく食うなら。

(追記、12日にTwitterセブンイレブンイスラエル応援キャンペーンを知り、「はあ?まじかよ、やめてくれ」になっている。)

 

夜に八重洲に行くことは確定としてそれまでどうしようで展覧会をチェックすると、新美術館の「イヴ・サンローラン展」が最終日ということで、六本木が目的地に決定。

大江戸線でどんぶらこされ六本木に到着。まずは森美術館で「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」と「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために
環境危機に現代アートはどう向き合うのか?
」を鑑賞。

 

キース・ヘリング展 アートをストリートへ」

待ってましたな展示。「アートをストリートへ」と副題が付いているけれど、僕の関心のせいか、社会への課題提起としての側面を強く感じる展示だった。資本主義批判や反核、反アパルトヘイトクィアエンパワーメント、そしてHIV/AIDS予防啓発。エイズ合併症で亡くなるまでの、31年間という長くない一生の中で、キース・ヘリングがどれだけアートというものに情熱と希望を抱いていたかが伝わってくるし、広義の延長線上にいる自分としては彼の作品をもっともっと観てみたかった。課題提起的作品以外にも、彼自身を写すような作品やアートを社会に開いていく作品などもみることができる。

《Dog》とか《Silence = Death》とか、まじで観たほうがいい。

展示図録の販売はないとのことで、物販で『KIETH HARING JOURNAL』と作品集を購入。$表記のバーコードが付いていたが、1$200円換算の値段設定だったので、まじで円高が恨めしかった。

 

「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために 環境危機に現代アートはどう向き合うのか?」

アリ・シェリ《人と神と泥について》、モニラ・アルカディリ《恨み言》が観れただけでも満足って感じ。どの作家も関心領域が広いし、メディアも多様で、まじこういうのかっこいいよな憧れるよなで、少し自分が向かっていきたい方向の輪郭みたいなことを考えながら鑑賞した。

 

国立新美術館に移動してイヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎNACT View 03 渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト) 私はフリーハグが嫌いを鑑賞。

イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」

最終日駆け込み、平日なのに普通に混んでて入った瞬間に出たくなってしまって、ほぼ駆け抜けるように退散。森美はそんなに混んでなくてゆったり観られたんだけどなあだった。

 

「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」

でっけえ空間といわゆる映え写を撮る人々。歩いていたら終わっていた。なんか観る気分じゃなかったんだろうな僕は。

 

「NACT View 03 渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト) 私はフリーハグが嫌い」

パブリックスペースでインスタレーションや映像作品が観られる。1Fロビーに設置された8枚の扉の反対の面には、作家とひきこもり当事者がハグする写真とその写真の余白に、テキストは日本語と英語で記されている。写真は日中はモノクロとキャプションにあったが、曇だったせいかカラーVer.で観ることができた。余白に記載されたテキストには、それぞれのひきこもり当事者の状態やこれからどうなっていきたいかが書かれている。社会から(物理的にも概念的にも)眼指されにくい他者がそこには確かにいて、コミュニケーションの過程を経たうえで物理的に触れ合うが行われている。人間同士が眼差しあって、気にし合って、ケアしあって、それのひとつの形としてフィジカルコンタクトってどんななんだろうを想像しはじめられるかなだった。

作品越しにみえるイヴ・サンローラン展に並ぶ多くの人々はこの作品にもめをとめることはあるのだろうか。

 

八重洲に移動して、リクルートが運営するBUGで「バグスクール:うごかしてみる!」を鑑賞。

 

バグスクール:うごかしてみる!

新卒同期の仲良しKが企画担当をしている展示。
渡邊拓也さんの《工員K》、平手さんの《NO GENOCIDE》が特に印象的だった。IGのストーリーでアップしたら、知り合いが渡邊さんの配偶者さんでなるほどで、ついでに?金曜日の渡邊さんのワークショップに参加することになった。

(平手さんの《NO GENOCIDE》はキャプションリストに記載がなくて、確認したわけではないのだけれども、追加で置かれた作品なのかなだった。だとしたら、いまのタイミングであの作品を作成した作家さんも、展示許可したBUGもよいぞ〜!だったな。)

 

ドトールで茶をしばいた後にマッチングアプリで誘われた人とおでんを食った。マッチングアプリ経由で人と会うのいつぶりだろうだった。なんかあんま会話が噛み合わないなだし、おでんは甘い(僕はあらゆる甘いものが苦手)しで、ぬんぬんだった。てか僕の何に興味を持ってくれたんだろう?謎だ。

てかあれだ、僕ははてなブログ以外のSNSマッチングアプリを含む)には、顔も名前もある程度の好き嫌いを出しているんだから、セックスするだけならまだしも、会話でコミュニケーションを望むなら向こうからある程度は提示してくれよだりい〜なだ。

そういや八重洲で飲むのは新卒時代ぶりだったかもしれない。いわゆるオフィスワーカーばっかりの街で、なんかもう合わない空気かもしれないだった。収入0だな〜と思いながら街を思い出すと、2年目が終わる頃には給料が2倍になっていたことを思い出し、金銭面では安定したが、その反面、終電に間に合うか間に合わないかまで働いて、精神は壊さなかったが、体調は崩したし、休みの日はワインをボトルで空けてから1日を始めていたし、パーティースモーカーだった大学時代だったのにちゃんと喫煙者になったし、友人たちには働き始めたあとの僕は怖くて近づきにくかったと言われたこともあったなと記憶は続くので、やっぱり離れて良かったよなと思い直した。

 

90分くらいでバイバイして、気分を改めるためにエジンバラダージリンティーを飲みつつ、『KIETH HARING JOURNAL』を読んだ。英語で書かれているけれど、日記くらいの英語なら難なく読めるっぽくて、そういや英語で論文読むトレーニングも再開しようかしらな気分に。

自分が生まれる前の時代のことを日記を通して知る。

 

作品づくり再開したいなと労働は再開したいか分らないな一日だった。

 

今日の僕的
PEOPLE 1 “怪獣” 

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