角部屋日記

あったりなかったりすること

週末:231006~231009

20231006(金)

今週リリース予定のプロジェクトが遅延していて来週になったので暇だったはずの今日は相変わらず忙しい。自分が責任者みたいなプロジェクトしかやったことなくて、サポートみたいな感じでのプロジェクトの入り方が分らない。そもそもプロマネ不在の開発案件の事業側とか普通に見るに耐えねえな状況なんだが、別に頑張りたいわけでもないし、コミュニケーションフローもクソもないから口出すのも違うかなみたいになっていてぬんぬん。しかも同じようなのが3つくらい渋滞している。まあそんな労働状態なので忙しいがしらんがちゃんと?定時前に退勤して下北沢。

 

 

下北沢・駅前劇場でかわいいコンビニ店員飯田さんによる舞台『悼むば尊し』を観る。

 

【あらすじ】

昔の友達が亡くなった。自殺だったらしい。
心身のバランスを崩した彼の母親から、遺品整理を任された同級生たちは、かつて毎日のようにたむろしていた部屋にふたたび集まってくる。それぞれの思惑と清算したい過去を抱えて。

過去と現在。消せない過去と癒えない傷。隠す人と暴く人。みんなに秘密にしていたこと。

よみがえる「あの頃」の空気が大人になった自分たちに襲いかかるなか、彼の自殺の真相が浮かび上がる——

(公式サイトより)

 

2時間超えでケツ痛に耐えるのに必死だった。小さい頃から硬い椅子に同じ姿勢で固定されるのが無理だったのに未だに無理だなだった。別に固くなくてもで映画館も結構つらい。動いてはいけない状態でどうすりゃいいねんで、もう地面であぐらさせてくれで。

場面のはじまりが閉鎖空間での吃音を理由としたイジメや根性焼き、暴言とかでまじで怖くて、フィクションであってもあからさまな悪意を目の前にされることの耐えられなさがあった。いじめっ子が自殺して、数年後にいじめっ子仲間もいじめられっ子たちもがいじめっ子の荷物整理のためにその閉鎖空間に集合して、みたいな話で、悪意と善意は同居するし、それらのプラスマイナスで結果プラ/マイとかではなくて、あくまで悪意も善意も同居してるやんって感じの話で救いもないし救われないのが悪意じゃんで。まあ悪意が発生するのは他者関係であったり生育環境であったりで、まじ諸悪の根源どっから来てるねんで、悪い意味とかではなくて僕は何を観ているんだろうなだった。

あとあれだ、笑えねえだろなシーンで会場から聞こえる笑い声、まじかでああここはリアルな場かで怖くなっちゃうのは舞台とか映画館とかのちょっと距離ができちゃうところ。

 

観劇後に新宿へ飛んでマヴfrom福岡(K)と落ち合っていつものバーへ。福岡で労働しているのにKとは月1以上で会っている。Kの転職活動についてうんぬんかんぬん。僕も転職したいし、そもそも新卒の時は転職エージェントにいたのでどうにかなんか知識提供できればよかったんだが、僕はシステム設計とかの大元?だったので転職自体のノウハウとかは皆無なので無力!

ほんとうはアカデミアに戻りたい、金にならなくてもドキュメントを撮って残していきたいみたいな、薄っすらとは知っていたが改めて聞くとそう考えていたんだねという話を聞く。僕もそれに被せて人生どうしようかなを吐露して、なんか不思議な夜だった。僕も労働ではない場所でいいんだけれどもリサーチしたいこととか書き残したいことあるんだったなで。

終電でバイバイして僕は徒歩で帰宅。

 

20231007(土)

早く起きてるんるん三鷹に向かう。武蔵野の空気は少し甘くて相変わらず好き。新卒時代のマヴTと待ち合わせてモーニング。サンドイッチも珈琲もあんまり美味しくなかったけれど、久しぶりのTとの時間で幸せだった。博士論文の進捗とか、研究会で行った海外の話、妻さんとの関係などを聞く。マヴYのキュレーションする展示で次は会おうでバイバイ。

啓文堂書店金原ひとみ『ハジケテマザレ』を購入。来月の安藤ホセ×金原ひとみ対談イベントのための課題図書みたいな感じ。

51番のバスに乗って国際基督教大学へ。久しぶりのICUでそわそわしながらバスに揺られる。車窓から街を観ても変わらないな・変わったなが分からなくてそういや大学行くのにバス乗ったのは数回でそりゃそもそも見覚えのない風景だったなで。大学に近づいてやっと見知った景色。僕の大学生活を支えてくれた100円ローソンは今も健在だった。

校門には明日・明後日が学祭と書いてあるのにそんな雰囲気を全然感じさせない構内。前回ゲットできなかった卒業生用の図書館入館カードをゲットして、大学生当時の居場所だった図書館地下1階に向かう。昔は薄暗かった気がしていたが電気がガンガンについていてちょっとちゃうねんとか思いながら、本棚と本棚の間にあぐらかいて積み上げた本を読んでいた。リサーチしたいトピックについての雑誌・書籍の必要なところをコピー。高校生の頃に赤本をコピーしまくってから、縮小コピーもコピー機に本を置くのもマジでプロってるって思っている。大学時代にコピーした文献の山が処分できずにいる。

喫煙所に向かうために芝生をズンズン進んでいてマヴSに遭遇。一緒にいたKさんにお久しぶりですして、Suさんとはじめましてクッキーをもらった。Aさんが向こうから来るのを発見してみんなで軽く挨拶。席を取りに行くために僕は離脱。久しぶりの国際会議場。

 

〈強制的(異)性愛に抗う:Aセクシュアルの視点から〉に参加

 

 

以下、メモ的にしたTweetをそのまま

 

ーーーTweet転機はじまりーーー

 

久しぶりの出身校の空気とまじか登壇者豪華じゃんな気分で参加しはじめて6時間ずっと刺激的だった。

まず、明確なグランドルールとすべての登壇者から”あたりまえ”にtrigger warningされる安心空間であること”ちゃんと”いいね。

 

怒涛タイムでのメモだったから、僕の理解不足とかミスとかあるかもだけど~

 

三宅大二郎さん〈Aセクシュアル・コミュニティとAセクシュアルの経験〉:アセクシュアルの定義からはじまり、日本での調査報告、GuptaやPrzybyloから強制的性愛規範から生じるアセクシュアルの困難の説明を丁寧にしてくれていて、第1発表として丁寧な導入になっていて僕的助かり。イメージの固定化を防ぐためのコミュニティによる戦略やAro/Aceの人生は困難だけの人生ではなく困難以外にも、自認過程や様々なライフスタイル、関係性構築などが”あたりまえ”にあることも大切な視点だなと。

 

コメント中村健さん:コミュニティ参画を通して見えてきた当事者たちの話題の変化についてが興味深かった。家族や恋愛とは違う形でサポートをする/される関係性の模索がなされている傾向にある点について、個人的には障害や階級の観点が発生した場合に個人はどうやっていけるのだろうか、社会が担保すべきことは何かを誰かと考えられたらいいなと思ってしまった。あと、コミュニティへのアクセスが難しかったり、コミュニティ参加が苦手な人々の代替手段とかはどう実現可能だろうかとかも。

 

松浦優さん〈エース・スタディーズ?ーーAセクシュアルの視点から社会を見る〉:強制的性愛の議論に対して”対人性愛中心主義”や”多重見当識”といった視点を持ち出すことや、アセクシュアルの中でもジェンダーによって経験する困難や諸規範による困難を提示していて、議論がセットされる以前に取り零さられるものたちへの視座があることが心強かった。例えば性愛についての議論では異/同/両性愛者にとっては回答可能な問いとしてスタートするが、アセクシュアルトランスジェンダーなどはそもそもが捨象されている的な。結びとしての「連帯に向けて」ではフェミニズムクィアの中の差別ついても言及していて、社会や規範を批判する時に自分はどこに立ち、どれだけを射程にしていてそれと同時にできていなくてを思考するだろうなと思わされる発表だった。(むずな部分もあったので学ばなければ・・・)

 

コメント・藤高和輝さん:理論とは何なのか、何が理論と呼ばれるべきなのかという問いからはじまり、ベル・フックスを引用したりしながら理論のそれ自体の可能性と理論を織る実践的手法の可能性の広さについて述べられていて、すごくぞくぞくした。藤高さんのスピーチ自体がめっちゃクールであの場の多くの人が理論ー実践を繋ぐそれぞれの行為を称揚されたような気分になったのではないだろうか。Chenの”セクシュアリティ”という語や定義自体への問いかけは僕も引き受けてみたいし、世界を異化しよういえいだ。

 

長島史織さん〈Aセクシュアリティと障害ーー相互否定を超えて〉:DSMの改定で”性障害”の概念がどう変化し、その歴史の中でのアセクシュアルコミュニティの活動やジェンダーによる差異、未だに残る課題についての発表。個人的にDSMは特定の疾患部分しか読んだことがなかったので、DSMの罪的側面を知らずにいたのでジェンダーセクシュアリティについての議論の中での精神医学を何をして何をしてこなったかという視点を得ることができた。

 

コメント・高井ゆと里さん:4つの論点①セクシュアリティの外縁を拡張すること②医療的ニーズが尊重される医療という可能性を提示することによる医療への批判③アイデンティファイされたラベルの定義以上にそこには差異や個人史がること(僕の理解が曖昧・・・)④言説や権威、エスタブリッシュメントによる病理化へのカウンターとしての健常性主張という問題

Sprit Attraction Model。個人的には規範に対しては真っ当に反対すればいい、制度や規範以上にすでにそこにいる個人の意思/主張が尊重されればいい、主張でもカウンターでも同じ側の誰かを捨象する可能性を考えろという”あたりまえにそうあるべきじゃね”を改めて刻まれた気分。そうだよねだった。

 

佐川魅恵さん〈(シスヘテロ)セクシズムの中のAセクシュアリティとノンバイナリー〉:Halberstamの”Queer time”からはじまり〈まっすぐ(ストレート)〉な時間、クロノノーマティヴィティー批判として3人の当事者への聞き取りの発表。僕的に”時間”の概念をあまり思考したことがなかったので、アセクシュアルやノンバイナリーが社会が規範とする時間(ライフイベント)とどう乖離し、時にそれに追いつく努力をしなくてはいけなかったり、独自の時間体型をつくらなければいけないということに言われてみればそうだよな・・・だった。更年期に伴う身体変化が理想状態に近づくことだったいう当事者の声や、アセクシュアルとして自分にあった性愛の在り方やトラウマからの回復、嫌悪性を介さずに他者とつながるということなど個人の語りだからこそ表出するそれらはそれこそ「まっすぐからはずれることは苦痛を伴うが、常に対抗的な新しい時間や空間を生成する可能性を秘めている」だなと思った。時間規範についてシスとして考えることはノンバイナリーな人のそれとはまた異なることだけど、自分はそれをしたことがなかったので考えてみたい。

 

葛原千景さん:(僕の集中力が・・・)。中心ではない語りの重要性とそれらがより多くあるべき。社会の規範はすでに個人をジェンダー化しセクシュアル化するが、そんな世界でトランスやノンバイナリー、Aceのスペクトラムにいる人どう生き延びることができるのかという問い。生殖と性愛が前提として中心としてセットされたどう生き延びられるかも、逃げることが可能なのかも。Detransについては全然知らないのでまずは知識からだ。

 

ざっと書いてみたけど、追いきれてない部分がたくさんだなと改めて。この場での議論そのものもだし、自身や自身の関心領域に引き付けた時に発生する問いがたくさんあったのでちょっとずつ頑張っていこう。あと、Gupta”Compulsory Sexuality:Evaluating an Emerging Concept”とPrzybylo”Introducing Asexuality, Unthinking Sex”読んでおけばよかったなだなあ。日本語文献も積読ばっかだし。

 

ーーーTweet転機おわりーーー

 

Suさんにノートテイキングが綺麗と言われた。Sが羽生さんからサインもらいてくてとサインペンを探していてすかさず差し出すサインペン。僕のリュックにはいろいろはいっている。

最高の6時間(長い)もあっという間で、知り合いと挨拶タイム。TwitterフレンドYがDMくれて会場でリアルはじめまして。人見知りなのにテンションあがっていたのでその場に居たSとSuさんをYに紹介してあれよあれよと4人で読書会をしようとなる。LINE交換とか久しぶりすぎてやり方に戸惑う。

友人のDさんに飯に誘われる。KさんとMさんとははじめましてで4人でバス・電車で東京駅で飯。僕は焼き鯖定食。飯を綺麗に食うな僕はと自分で関心していた。僕以外、助教・博士課程・博士課程なメンバーだったので、研究状況とか研究会事情、現代思想への寄稿ってどうなってるんとか、普段僕が接しない世界の話でなるほどふむふむ。

そういやYさん、はじめましてなのにすげえいい感じのコミュニケーションスタイルでひとりになってから思い出してふむふむなるほど僕もあんな感じになってみたいかもなだった。

 

学生時代からシンポジウム・研究発表会・デモとかの場にちょくちょく顔だしていて、そこの場で開かれるテーマ自体はもちろんだけれども、どこにでも誰かしら知り合いいるからそういうのに救われているなと思う。

日頃から幸せとかあんまり分らないなで生きてしまっているが今日はちゃんと幸せだな僕って思える1日だった。

 

20231008(日)

ドトールでBモしながら昨日のシンポジウムの復習。その後、落合駅から東西線神楽坂駅。徒歩でWAITING ROOMに向かい、高田冬彦さん〈Cut Pieces〉を観る。『The Butterfly Dream』めちゃ好き。冬ちゃんと久しぶりの挨拶して30分くらい滞在。また遊ぼう〜って誘いたかったけれどなんかひよってしまった。遊びくらいまともに誘えるようになりたい。

 

東西線だし都現美の〈あ、共感とかじゃなくて。〉観に行こうかと思っていたがなんか疲労感で諦め。Web観たけどそんな惹かれなかったのもあった。てか遠い。

予定変更で新宿3丁目に降り立ち、紀伊国屋。昨日のシンポ関連の書籍多めに購入。

 

ーー買った本
『問題=物質となる身体』
フェミニスト現象学入門』
フェミニスト現象学
『〈トラブル〉としてのフェミニズム 「取り乱させない抑圧」に抗して』
『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』
『リサーチのはじめかた』
『フィールド・レコーディング入門ーー響きのなかで世界と出会う』
『学ぶことは、とびこえること』
『階級とは何か』

 

帰宅。

昨日の登壇者、松浦さんの論考を読む。めちゃくちゃよい。論文読むのとか日課にしていきたい。誰か一緒に読んでくりゃ〜

 

20231009(月)

朝起きて雨で寒いし怠いなグダグダしてたいなだったけれど一応新宿の映画状況をチェック。『ジャンポール・ゴルチエのファッション狂騒劇』が来週くらいまでらしくてはよ行かなきゃ終わっちゃうで10:15〜の回を予約。シャワー浴びて新宿へ。

5月に観た『ファッションフリークショー』の裏側ドキュメンタリー。

あのステージの裏側あんなだったのかで、席からは観えなかった衣装のディテールとか熱量とか、ダンサーたちの苦労と喜びの姿とかよかったな。

ゴルチエはAIDSでパートナーを亡くしていて、それについてのフィーチャーもあって、舞台上で映像として登場していたあの人はHIV/AIDSアクティビストだったのかもあって、なるほどなるほど。

 

スーパーで食材買って帰宅。久しぶりの作り置き。

・ピーマンと筍炒め:ピーマンを筍と同じ細さに切って適当に炒めて、酒・塩・胡椒以上。

・なすの醤油煮:稲田俊輔レシピでつくってみたが、慣れもあるのかいつもの僕レシピの方が好み。

・ダルカレー:印度カリー子レシピで挑戦。まじうまびっくり。赤レンズ豆を100g・トマト100g・玉ねぎ1/4個とあとはスパイスだけ。赤レンズ豆は1kg250円で買ったやつがあったし、最近はスーパーで1個250円するトマトも冷凍があったし、玉ねぎなんて冷凍庫にたくさんあるねんだったので、めちゃくちゃ安上がりかついつでもある食材で最高。

 

冒頭に書いたとおり最近の労働状況がくそなので、普通に憂鬱になる連休最終日だった。はよ労働者やめて無職期間に突入しなければ。

 

って感じの3連休+前夜だった。

 

今日の僕的!

MONO NO AWARE/轟々雷音

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