だいたい毎日眠れない。
というか眠りたいと思うことがないし、あんまり眠くもならない。だから大体3,4時くらいまで無為に起きている。眠りに支配されるまでが僕の時間だから。高校生になってくらいから全然眠らなくなってしまったから逆に通常運転みたいなところがある。
最近自炊をする機会が増えてきた。学生時代は自炊ばっかりだったのでちょっといい感じ。眠れない夜にはだいたい料理をしている。次の日に食べるものを。例えば今夜はカレー。野菜を炒めて、作り置きの野菜だし的なものとスパイスを入れる。ただそれだけ。
別に思いついたからなので最近の毎回に意味なんてなかったが、夜中の料理は明日の自分が生き延びるための行為かもしれないなとふと思った。
線路が見える部屋に住んでいる。前の部屋も線路が見える部屋だった。だから部屋の日常には電車と駅の音が常にある。とはいえだいたい家でもノイズキャンセリングイヤホンをつけているのであまり音的には近くない。今の駅の終電は25:00くらいで始発は4:30くらい。電車は僕にとっていちばんクリティカルな移動手段なのでそれが休む時間は多くの人間が休む(≒眠る)時間なんだと告げられているような気分になる。
いまは移動が制限されている時間。電車の往来に合わせて僕も寝るべきなんだろうなとは思っている。
自分だけの感情だったら折り合いはつけやすいはずで、いままで割と他者を介した感情のあれやこれやはあんまりなかった気がするが最近はちとある。他者があってこそなのでどうにかこうにかするにもその他者が必要だったりする。そういうのに慣れてなくてうーんってなってしまう。ぬんぬんってやつ。
今日の日記は本当は狼/人間についての研究はじめについて書こうかと思っていたが、関連する本を本棚から引っ張り出しでぺらぺらめくっていたら書籍まとめにとりかかれなかった。それでいつの間にか料理がはじまっていた。そんな感じで生きている。
眠れない夜、眠らない夜、人々はそういう夜をどんな夜として過ごしているんだろう。
タイトルはこちらからー入曽 cero